待ちに待ったお祭りもとうとう始まりました。
停滞気味(個人的に)だったDN界もようやく活況を呈してきた感があるなかで、まだ手をだしていない自分にできることは、ただ近況を垂れ流すことのみ・・




・・というわけで、

冬目景の「イエスタディをうたって」8巻がでていたので買って読みました。

漫画でも映画でも小説でもそうだけど、誰かに勧められたわけでもなくネットでの評判に触発されたわけでもなく自らの意思だけで手にとった末に気に入った作品っていうのは、ちょっと特別な存在になりますよね。

僕にとってはこの「イエスタディをうたって」が、漫画の中ではそれにあたります。

これだけネットが生活にはいりこみ情報が氾濫する中で暮らしていると、大抵の作品は巡りあった時点ですでに何らかの予備知識が詰めこまれてしまっていて、先入観なしにニュートラルな感想を抱くなんていうことはなかなか出来ないものです。
というかむしろ、ネットでの評判を加味した上で手にとる漫画や小説を選んでるところもなくはない。

そんななかで、偶然に偶然が重なったうえで自分で「発見」した誰の手垢もついてない作品というのは貴重な存在です。
人におすすめする時にも罪悪感がなくていいというか、他人のふんどしで相撲を取るような後ろめたさがなくていいというか、自身を持って「これ、いいんだぜ!」と言えるような気がします。

あ、でもそれって、そうやって他人がその作品を自身で「発見」するのを防ぐことで「俺が見つけたもの感」を増大しようとする行為なのかも。

なんて思ってしまった。
なんだ、俺ってすげー嫌なやつだな。

まぁ、そもそも「手垢がついてない」なんていったところで、そんなものは救いがたい独りよがりでしかないんですけどね。

しかし、「独りよがり」って考えてみるとすげー言葉だな。
「ひとり」で「よがる」って・・、ようはオ○ニーじゃないか!

まあ、世の中の大抵のもんはオナニーだよ。











・・素敵な青春恋愛漫画の話をしようと思っていたのに、どうしてこうなった?











えーと「イエスタディをうたって」について。

内容とかはもういいか。
すごく面白かった。以上です。











・・と、これだけでもあれなのでタイトルに関してちょっと思ったこと。

「イエスタディをうたって」っていう日本語って、実はいろんな意味に取れますよね。

本意としてはコミックスの表紙にもあるように、「sing "yesterday" for me」なんだと思います。
ようは、わたしのためにyesterdayを歌ってほしい、ということですね。
これはこれで叙情的で素晴しいタイトルだと思います。
甘いだけじゃなくて感傷的で、もしかしたら郷愁みたいなものまで多分に含まれていてぐっときます。

でも自分は長いこと、その表紙に明記してあるにも関わらず、このタイトルを別の意味で捉えていました。
それは上のように表すなら「singing "yesterday"」でしょうか。
英訳は適当です。
ようは yesterdayを歌いながら あるいは yesterdayを口ずさみながら という感じですかね。
つらいとき悲しいとき、わたしはyesterdayを口ずさみながら生きていくのよ、とそんな感じ。
これだってなかなかに、適度に甘くて適度に苦くて美しいタイトルだと思いませんか?

さらにいえば、自分のイメージの中では、この「yesterday」は曲名ですらなかったりします。
なんというか、「過ぎ去ってしまったもの」の象徴としてイエスタディというか言葉がある、というか。
過ぎ去ってしまった日々を思いながら、もう戻れはしない過去を慈しみながら賛美(←でた!)
しながら、あるいは抱きしめながら、そうやって人は生きていくんだよ、的なね。

正式にはRCサクセションの同名曲から取られているのだそうです。

でもそうと分かった今でも、もう戻れない過去や関係を思いながら生きていく、という自分なりの解釈の方がどうにもしっくりくるんだよなー、

なーんて、今回「イエスタディをうたって」8巻を読みながら思った次第です。

次はいつでるのかなー。
冬目景のコミックはほんと出るの遅いからなー。

いつの間にか、リクオもハルもシナコ先生もみんな年下になっちまったよ。

連載開始から14年だそうです。
そりゃ俺も年をとるわけだぜ。

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